黒いベンツを乗り回し、でかいバイクで旅に出る。
高校時代は毎朝校門前まで、サングラスをかけ(←まぶしいから)、いかついベンツで送ってくれていたので、それをみかけた先生に
「あれ…吉川のお父さんか…?」
と言われたほど。
そんな私のお父さんも最近徐々に年をとってきたのを感じる。
一度、2か月ぶりに実家に帰った時はその老けようにびっくりした。自分でも
「見た目だけやなくて、最近頭がかたくなってきた気がする」
と言っていた。
もともとお父さんはかなり柔軟な考えを持った人だ。
私が今だに忘れられない衝撃の一言。
それは高校1年のクリスマス前のこと。
「涼子、クリスマスは彼氏と過ごすんか?」
「うん、そのつもりやで」
「ほーか。ほんならその日は帰ってこんでいいで。」
…こないだまで中学生やったカワイイ娘にこの言葉!自分の耳を疑いました…
他にも、両親が2人で旅行に行くときのこと。
「彼氏に家に泊まりに来てもらったら?」
この時、親と彼氏はまだ会ったことがありませんでした。
会ったことのない相手を、よく自分の留守中に家に泊めようとするなぁ…
とにかく娘の彼氏に寛容なお父さん。私も彼氏ができたら、いつも包み隠さずなんでも話してるけど、それにしてもすごいと思う。
彼氏と2人で飲みに行き、彼氏が酒に弱いのを知って
「鍛えろ!男はある程度呑めたほうがいいから」
と日本酒一瓶プレゼントしたり。
もちろん妹に彼氏ができた時も2人で飲みに行ってました。
そんなお父さんは私に1番影響を与えた人ではないかと思う。
まだ幼稚園入るか入らないかの頃に、日記をつけることを教えてくれた。
今その日記はどこにいってしまったのかわからないけど、幼稚園児が毎日つける日記ってすごく興味深い
あとは絵本を描かせたり、雲を見てなにに見えるか答えさせることで、私の創造力や想像力を養ってくれた人だと思う。
柔軟な考えをもち、子供を1人の人間として尊重してくれる親のもとで育った私は、
本当に好きなことをやって今まで生きてきたと思う。
「どんな場合でも涼子が1番いいと思う方法をとればいい。
そのかわり、そのことで生じた物事には最後まで責任を持て」
そういう考えで私を育ててきてくれたように思う。
高校や大学選び、部活のことで悩んだとき、大学を辞めようと思ったとき、どんな時もお父さんの結論はそうだった。
そのおかげで私は自分で道を選びとることができてきた。
逆の選択をしていたほうがよかったこともあったのかもしれん。
けど、「自分で決めたことやから」っていう気持ちを常に持っていることで、
自分の言動にたいする責任感というものが育った気がする。
でも常日頃親にこういう言い方をされていると、
「こんなに私を信頼してくれている親を裏切るわけにはいかん!」
という気持ちがわくから、実はかなりいい子育て方法なのでは、とも思う。笑
「おまえはまだ動物や。人間になりきれてない」
という激しいお言葉をいただいたこともあるけど、でも基本的には「吉川涼子」という1つの個を見ていてくれてる。
だから私はその視線から目をそらさずにいれるような人間でいたい。
私はすでにお父さんの形見を持っている。
シンプルでかわいいブルガリの時計。
「これをお父さんの形見にしなさい」
と言って20歳の誕生日の朝に渡されたもの。
お父さんも20歳になった時にじーちゃんに形見の時計をもらったという。
私も将来子供ができて、その子が20歳になったら、きっと時計を渡してるんやろな。
私も今は大阪に住み、お父さんも海外出張やらなんやらで
実家に帰ってもいなかったりする。
あまり会う機会はないけれど、私の人格形成に1番影響を与えた人であることは、
きっとこれから先もずっと変わらんやろう。
まだ家族の誰にもこのブログの存在は教えてないけど、もしなにかの機会でお父さんがこのページを見ることがあったとしたら、きっとあの人は「にやり
「自分で自分の道を選んでるつもりになってるけど、甘いわぁ!」って。
だってまだまだ私は親の手のひらの上で好き勝手に走り回ってるだけの子供やもん。
でも、いつかその手のひらの上から飛び下りて、本当に自分の道を歩き始めるもんね!
で、「おぉ!?」って言わせてやる!
待ってろ、おとーさん!!
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3年の文集の私のページにお父さんのこと書いてきた人がいたのには驚いた。笑
放任的子育て、って子どもも親もラクそうでいて、1つなんか大変なことが起こってしまうと、ほんまの意味で「放置」されそうじゃない?あやういことをよくやってのけるなぁと思うわ(^_^;)
知らなんだ〜〜。
じゃあ私は明日からリキシャーで送ってもらおうっと♪
うん、ベンツ通学。笑 お父さんの会社が学校に近かったからついでに送ってもらってただけやねんけどね。
リキシャーで送ってもらうんか…日本にもあったらいいのになぁ。